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紫式部日記
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紫式部が書いたとされる日記。紫式部が一条天皇の中宮彰子に宮仕えを始めたのが寛弘2年(1005年)と思われるが、
この日記は、中宮彰子が出産を控えた寛弘5年(西暦1008年)の秋からの約1年半の出来事がまとめられている。
紫式部が30歳前半だった頃の日記らしい。全2巻からなる。完成は寛弘7年(西暦1010年)頃か。
なお、枕草子で有名な清少納言に対する言及もあるが「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。
(清少納言は得意顔で偉そうにしていた人。)」と、敵対心むき出しである。しかし、紫式部と清少納言は
同じ時期に宮仕えをしていなかったと一般的に考えられており、2人が顔を合わせたことがあるかどうかは定かではない。
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秋のけはひ入りたつままに、土御門殿のありさま、言はむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、大方の空も艶なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。やうやう凉しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。
御前にも、近う候ふ人々、はかなき物語するを聞こし召しつつ、悩ましうおはしますべかめるを、さりげなくもて隠させ給へる御ありさまなどの、いとさらなる事なれど、憂き世の慰めには、かかる御前をこそ尋ね参るべかりけれど、現し心をばひき違へ、たとしへなくよろづ忘らるるも、かつはあやし。
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