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徒然草
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つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ。
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◆ 徒然草 第一八段 人は、己れをつゞまやかにし…
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人は、己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。
唐土に許由といひける人は、さらに、身にしたがへる貯へもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、
ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。
孫晨は、冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝には収めけり。
唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記し止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。
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◆ 徒然草 第三十一段 雪のおもしろう降りたりし朝…
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雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事に、
「この雪いかゞ見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは。
返す返す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。
今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。
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仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うくおぼえて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩よりまうでけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年頃思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
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園の別当入道は、双なき包丁者なり。ある人のもとにて、いみじき鯉を出だしたりければ、
皆人、別当入道の包丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかがとためらひけるを、
別当入道さる人にて、
「このほど百日の鯉を切りはべるを、今日欠きはべるべきにあらず。まげて申し請けん。」
とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、
ある人、北山の大政入道殿に語りまうされたりければ、
「かやうのこと、おのれはよにうるさく覚ゆるなり。『切りぬべき人なくは、賜べ。切らん。』
と言ひたらんは、なほよかりなん。なでふ、百日の鯉を切らんぞ。」とのたまひたりし、
をかしく覚えしと人の語りたまひける、いとをかし。
大方、ふるまひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、まさりたることなり。
客人の饗応なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、まことによけれども、
ただ、そのことなくて取り出でたる、いとよし。人に物を取らせたるも、
ついでなくて、「これを奉らん。」と言ひたる、まことの志なり。
惜しむよしして請はれんと思ひ、勝負の負けわざにことつけなどしたる、むつかし。
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◆ 徒然草 第二百三十六段 丹波に出雲という所あり
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丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。
しだのなにがしとかや、 しる所なれば、秋のころ、聖海上人、そのほかも人あまた誘ひて、
「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん。」とて、具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信起こしたり。
御前なる獅子・狛犬、そむきて後ろざまに立ちたりければ、上 人いみじく感じて、
「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いと珍し。深きゆゑあらん。」と涙ぐみて、
「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめずや。無下なり。」と言へば、おのおのあやしみて、
「まことに他に異なりけり。」「都のつとに語らん。」など言ふに、上人なほゆかしがりて、
おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、
定めてならひあることに侍らん。ちと承らばや。」と言はれければ、
「そのことに候ふ。さがなき童どものつかまつりける、奇怪に候ふことなり。」
とて、さし寄りて、据ゑなほして往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
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